BLOGブログ
BLOG

10

少林寺拳法の宗教的背景と自己啓発との違い

少林寺


NEO SELF-DEVELOPMENT / ネオ自己啓発

少林寺拳法の宗教的背景と
自己啓発との違い

「少林寺拳法も自己啓発みたいなものじゃないですか?」——道場で弟子に言われた一言から、半分は当たっていて、半分は少しちがう、そのわけを考えました。

少林寺拳法の宗教的背景と自己啓発との違い

00 — Prologue

はじめに

こんにちは!黒帯兄さんこと八木橋ショーガックです。

先日、道場で教えている弟子に「少林寺拳法も自己啓発みたいなものじゃないですか?」と言われました。

半分は当たっていて、半分は少しちがう。

今日は、そのお話をします。




01 — Origin

少林寺拳法は、もともと宗教的な修行

人を育てる、修行の道。

少林寺拳法は1947年、宗道臣(そう どうしん)が香川県の多度津で始めました。最初から「人づくりの行」として教えが始まっています。1951年には宗教法人「金剛禅総本山少林寺」が開かれました。

つまり、ただの武道でも、スポーツでもありません。「宗門の行」、つまりお寺の修行として始まったものなんだ。




02 — Kongo-zen

金剛禅が教えていること

自分を育て、人と生きる。

教えの根本は、お釈迦さまの教えと、達磨(だるま)大師の修行法を、今の暮らしに生かすことです。ここが大事なところで、金剛禅は「死んだ後の安らぎ」や「お願いをかなえる現世利益」を説きません。

説いているのは、生きている人間が修行を通して、まず「己を拠り所にできる自分」をつくること。そして、他の人の役に立つ人間になること。聖句の「己こそ己の寄るべ」は、まさにこの意味です。それが「自己確立」と「自他共楽」です。

KEY POINT

教えの中心は、自己確立と自他共楽。現世利益は説かない。




03 — Similarities

自己啓発と似ているところ

誰の中にも、可能性の種。
  1. 「自分を頼りにできる自分になる」という自己確立は、自己啓発(Self-help=自助)に通じます。
  2. 人は誰でも、成長できる「可能性の種子」を持っているという人間観も、自己啓発の考え方に近いです。



04 — Differences

自己啓発とちがうところ

教えと技が、ともにある。
  1. 成功やお金、得をすることを前面に出しません。自己確立の先に、人の役に立つこと(自他共楽)が最初から組み込まれています。
  2. 「教え」と「技法」と「教育システム」が、バラバラにならず一つになっています。

最近の自己啓発は、勉強法やノウハウ、テクニックだけが目立つことが多いよね。土台になる考え方が薄くなって、技だけが残る感じです。少林寺拳法は、教えと技が切り離されないように作られています。




05 — Conclusion

僕の結論

自己啓発的な働きを持つ、宗門の行。

少林寺拳法は「自己啓発そのもの」ではなく、「自己啓発的な働きを持つ、宗門の行」だと考えています。

「自己啓発」と言い切ってしまうと、宗道臣先生や教団が大切にしてきた「宗門の行」という自己理解とずれてしまう。だから僕は、あえて「自己啓発的な」とつけて話すようにしています。

MY VIEW

自己啓発そのものではなく、自己啓発的な働きを持つ、宗門の行。

僕が書いている「ネオ自己啓発」の土台にも、この自他共楽があります。自分を鍛えることと、人の役に立つこと。この二つを一緒に考える。少林寺拳法で学んだことが、そのまま土台になっています。



己を育て、ともに豊かに。
まとめ
SHORINJI KEMPO & SELF-DEVELOPMENT

少林寺拳法の教え

  • 人づくりの行宗道臣が始めた、宗教法人の修行
  • 教えの中心自己確立と自他共楽。現世利益は説かない

自己啓発との関係

  • 似ている点多いが、土台と技法が一体なのが特徴
  • 僕の見方「自己啓発的な働きを持つ宗門の行」

関連キーワード

少林寺拳法 金剛禅 自己確立 自他共楽 宗道臣 ネオ自己啓発

道場で「なぜ自己啓発のように感じるのか」を考えてみると、少林寺拳法の教えの深さがあらためて見えてきます。
以上、黒帯兄さんこと八木橋ショーガックでした。

RELATED

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

ワードプレスが作れない人へ★動画を見るだけでブログ作成

PAGE TOP